Side Story

制作の合間に、ふと迷い込む空想の世界。

1950年代 英国紳士のガジェットを広告する

「倉庫から脚立、探してきて。これぐらいの」

母が食器を洗いながら、片方の手でサイズを示した。これは即ち、午後の作業再開の合図だ。満腹で、もう少しの間お茶を飲んでいたいところだったが、ご馳走様と言って私は立ち上がった。数年ぶりの大掃除の手伝いで来ているので、くつろいでばかりもいられない。

「倉庫」といっても元は普通の居室で、生前祖父が書斎にしていた部屋だ。亡くなったのは15年前になるが、その後は物置きとして使われており、部屋の奥から順に多くの段ボール箱が積み重なっている。そもそも部屋自体は整然とした印象で、几帳面だった祖父の影響が今もなお及んでいる。家族は部屋の手前のスペースにだけ立ち入って、そこに普段使わないような物を置くだけである。ほぼ開かずの間となっているせいで、書斎はいつの間にか「倉庫」と呼ばれるようになった。私がこの部屋に入るのもずいぶん久しぶりのことだった。

扉を開けると、長年閉め切っている部屋特有の匂いがし、内と外の空気の質が異なることが感覚的にわかる。子どもなら間違いなく好奇心を掻き立てられる異世界のような空間である。実際のところ、この部屋は現実世界の連続性から切り離された孤立した座標系であると言っていいかもしれない。小さな埃の一つひとつに至るまで、15年前の配置から一ミリも動いていないのではないかと思うほど、空気が静止しているように感じられた。時間という変数がこの空間にだけは代入されるのを頑なに拒んだかのように。

現代の多くの仕事がそうであるように、デザイナーという私の仕事もまた、一分一秒を争う情報の濁流の中で上手に息継ぎをしながら泳ぎ続ける営みである。次々アップデートされるシステム、更新されるトレンド、消えては現れるタイムライン。時とともに変貌する環境に合わせて、古い情報が新しい情報に書き換えられていく。「新しいこと」に価値があり、「昨日のデザイン」は宿命的に古びていく。しかし、この倉庫に一歩足を踏み入れると、私たちの加速し続ける世界だけがすべてではないということを改めて認識する。棚に積まれた道具、出番を失った家具、番号順に隙間なく並べられた文学全集。それらはかつて日常の一部として脈打っていたはずだが、今はただ重力と静寂に支配された「動かない時間」の堆積物としてそこに存在していた。
その堆積を崩さないように、私は慎重に奥へと進んだ。少しだけ、「異世界」の様子を覗いてみることにした。

***

棚の端の暗がりに、何重ものフェルトに包まれた小箱があった。手に取ると、その小ささに似合わぬ重みが手のひらに沈み込む。 包みを解くと、冷徹な輝きを放つ銀色の「何か」が現れた。
一瞬、それが何なのか判然としなかった。 手のひらに収まるサイズの、美しい金属の塊。クロームメッキのつるりとした台座は手元のランプの光を反射して、所々まぶしい。ボディの正面にはローレット加工が施された四つのダイヤルと四つの小さな窓が穿たれている。

TUESDAY 11 NOVEMBER

それは万年カレンダーだった。窓の中に表示されている日付は、ある年の火曜日。祖父がこのカレンダーを合わせるのをやめた日、なのだろうか。あるいは特別な意味なんてないのかもしれない。
私は吸い寄せられるようにダイヤルに指をかけた。 長い間眠っていた歯車同士が再び対話を始める。

思いの外スムーズにダイヤルが回る。文字で表すなら「スッ」という感じの、軽い摩擦音がする。金属のダイヤルが内部のローラーを直接回転させているような感触だった。

「NOVEMBER」が「DECEMBER」へ。「TUESDAY」が「WEDNESDAY」へ。 最初は恐る恐るだった私の指は、次第にリズムを帯びていく。冷たく静止していた銀色の塊に熱が宿っていくような錯覚に陥った。

それは、私自身の「時間」を取り戻す作業のようでもあった。 締め切りに追われるのでもなく、誰かの尺度で消費される時間でもない、自分の指で物理的な歯車を動かし、今日という一日を確定させていく手応え。

やがて、ダイヤルが今日の日付に到達する。

そのとき、倉庫を支配していた「動かない時間」の呪縛が静かにフェードアウトしていくように、解けた気がした。

***

私はこの美しい遺品を母から譲ってもらい、その日のうちに仕事場のデスクに飾った。後日調べたところ、英国製で1950年代の品物とわかった。メーカーや品名は不明だが、70年前のものとは思えないほど美麗で状態もいい。祖父が実際に使っていたものだったかどうか、母は知らないと言った。しかし、あれだけ丁寧に保管されていたのだから、おそらく祖父はこれを単なる実用品としてではなく、ある種の「聖域」として扱っていたのではないだろうか。

見飽きない美しさ。重厚な存在感。 スマートフォンの画面に浮かぶデジタルのフォントにはない、味わいがある。デスクに置かれるだけでその場の空気を支配し、所有者の背筋を伸ばさせる「威厳」を漂わせている。

1950年代。エリザベス女王の戴冠、ジェット機時代の到来、そして、伝統を重んじながらも新しい黄金時代を夢見たイギリスの紳士たち。彼らはどんな思いで、毎朝このダイヤルを回していたのだろう。

このプロダクトは、当時のロンドンの高級雑誌の裏表紙を飾っていただろうか? 例えば。英国紳士の書斎、深い陰影の中に際立つ銀色の輝き、余白のあるレイアウト、そして、このカレンダーが約束する「規律ある成功」を謳うコピー。

――当時のイギリスの社会背景はどんなものであっただろうか。
――どのような思想でこのプロダクトが作られたのだろうか。

70年前のデザイナーがこのプロダクトに託したであろう夢を、現代の視点で再構築することを試みる。今再び時を刻み始めたカレンダーの新しい物語が始まる。

▲広告イメージ

Enter your keyword